タイと私と仏教と ~タイのお寺・神社・博物館から~

タイのお寺を通して広くタイ人の信仰を研究中

〖バンコク国立博物館①〗博物館内の “ 王室御車倉庫 ”

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バンコク国立博物館 バンコク

  

サワディーカー。

@yayoiです。

 

2020年に入り1年の1/4が

過ぎ去りました。

Covid-19の影響で国と国との間の飛行機移動が

不自由な事態となっている中、

実の父が永眠いたしました。

老衰のためですが、日本では親族が集まるのは

中止の傾向となっていたことで

葬儀を行うことができず、

私の兄弟が代表して二人で火葬式だけを行い、

私はタイで火葬の時間にあわせてお寺に行き

お坊さんに読経をお願いしました。

空は繋がっているので天に昇って行く父に

届いたらいいなという思いをこめて。

 

そこで葬儀というものについて

考えていたら、

1回目のタイ在住時(2005年~2009年)のころから

好きで何度か訪れているバンコク国立博物館には

王室の葬儀のために使用するものが

たくさん保管かつ展示されていることを思い出し、

撮りためた写真をみながら、

今回はバンコク国立博物館の中にある

“ 王室御車倉庫 ”について

書いてみようと考えました。

 

長い記事になるので二部構成にして、

一部では、

博物館の歴史

博物館の概要

王室御車倉庫の展示品(一部)

 

二部では、

国王の大葬儀

王室御車倉庫の展示品(残り)

王宮前広場の火葬殿

について

それぞれ書こうと思います。

 

 

 

 

バンコク国立博物館はどうしてできたのか…?!

  

現在の王朝、ラッタナコーシン朝の初めには、

タイには国王の他に副王の存在がありました。

王宮には国王がお住まいになり、副王がお住まいに

なっていた場所は前宮、または副王宮と呼ばれて

いました。

KingRamaⅤの治世下では国王は国の近代化を進め、

副王が亡くなった時に副王制度を廃止。

前宮は政府の管理下となりました。

 

国王は、自国の文化への尊敬を忘れることなく、

KingRamaⅣの独自の博物館に所蔵していた

王室のコレクションを公開し、

王宮内のサーラ―・サハタイサマーコムに

公立博物館を開きました。

これが現在のバンコク国立博物館

基礎となりました。

 

そしてその後のKingRamaⅦの治世下の時に、

前宮であった場所の一角に

国立博物館が移されました。

現在では敷地のその他の場所には、

タマサート大学や

国立劇場なども設立されています。

右側が王宮。

左側が以前の前宮です。

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そのような歴史があるからか、

設立された国立博物館はお住まいの面影を残し、

敷地内に大小のいくつもの建物で

成り立っています。

建物によって展示物の種類が分かれていて、

各々の建物に名前がついています。

 

こちらが現在の博物館の正面入り口です。

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角度を変えて撮りました。

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バンコク国立博物館はどのようになっているのか...?

 

博物館の配置マップを作って見ました。

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白い部分は展示室やお店などです。

これら以外にも右側の宗教美術と記した建物の

後ろ側や伝統工芸品展示室の後ろには

図書館など建物がいくつかばらばら建っています。

 

敷地内の建物はよく改修工事が行われていますが

工事は展示品を移すことなく数年にわたり

行われることがほとんどです。

また、開いているところでも展示品の展示場所は

いきなり変わっていたりします。

 

グレーで表した部分には

礼拝堂(プッタイサワン)や

サーラー(あずまや、休憩所の意味)が2か所、

王室用建築物(マンタラーピセーク)

サーン・プラプームなどがあるところです。

 

まずは、大切な土地神である

サーン・プラプーム(①)

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そのすぐそばには一見サーラーの様に見えますが、

博物館のパンフレットのタイ語表記によると、

当時の用途まではわかりませんが、

マンタラーピセークという名の

前宮の王室用建造物となっています。(②)

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サーラ―が2か所。

サーラ―とは、出入口や壁のないあずまや様式の

休憩所をさし、道路わきなどでもよく見かける

建物です。

 

サーラ―・サムラーンムッカマート(③)は、

博物館の正面入り口からまっすぐ来るとあり、

博物館の敷地のほぼ中央にある感じで

建っています。

このサーラ―はKingRamaⅠの時代に建てられたもので

KingRamaⅦの時代にドゥシット宮殿から移築された

儀式用のサーラ―です。

この写真は2012年12月撮影しました。

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こちらは2018年6月に撮影したものです。

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サーラ―・ロンソン(④)は

博物館の正面入り口を入ってすぐ右手側に

あります。

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サーラ―・ロンソン(向かって右)と

後方に見えるのは

礼拝堂であるプッタイサワン(向かって左)です。

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今回の記事の“王室御車倉庫”はこのマップでいうと

サーン・プラプームの近くにある

地図の右下の青い台形部分です。

外からみるとこんな形の建物です。

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なぜ王室御車倉庫ができたのか…?!

  

博物館の敷地内の建物にはほとんど

名前がありますが、この王室御車倉庫は

名前がありません。

タイ語ではローンラーチャロット(โรงราชรถ)

と呼ばれています。ローンとは倉庫で

ラーチャロットは王室用の御車です。

 

王室用の御車が初めてできたのは

アユタヤ時代で、普段使うものから、

アユタヤ時代のナーラーイ王が

フランスのルイ14世をお迎えした時に使われたもの、

儀式用のものなどがあったようです。

ラッタナコーシン朝になってからは

KingRamaⅠが7台の御車を作られ、

そのうちの5台が博物館に保管されています。

 

館内には配置図があります。

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それぞれの展示品にはこのような

タイ語と英語で記した説明用案内板があります。

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この案内板の説明によると、

御車倉庫はアユタヤ時代には

王宮の中にありましたが、

1767年にアユタヤが陥落した時に

なくなったようです。

 

バンコク時代になってからは

王宮の隣の小屋に保管され、

1825年KingRamaⅢの治世下では

新しく建てた倉庫(場所は不明)に

移されました。

1885年KingRamaⅤの時代に

この記事の初めに記したように、

副王制度が廃止になった時に副王のお住まいであった

前宮が政府の管理下になり、この御車倉庫は

礼拝堂(プッタイサワン)の北側に移されました。

 

その後、KingRamaⅦの治世下で、

王立研究所の所長をしていた

ダムロン親王によって前宮の一部に

国立博物館が設立され、

1929年に、現在の御車倉庫が建てられました。

そして、1993年~1994年ころに芸術局が

東側にポーチを拡張しました。

写真では、前に張り出している部分です。

その建物の外観をズームして撮りました。

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ここには、現在、王室の葬儀に使われる

御車(山車のような御車です)をはじめとする

いわゆる葬儀用具が保管かつ展示されています。

 

そして実際の葬儀の際は、この開閉式の大きな窓を

開けて御車を出し入れできるように

なっています。

窓を博物館の館内から撮りました。

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王室御車倉庫には何が保管されているのか…?!

 

さて、ここに展示されている

展示物です。

先ほどの博物館の地図を利用して

私が作った展示品の一覧図です。

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王室御車(①②③④⑰)

サンダルウッドでできた座棺と棺(⑮)

サンダルウッドの座棺(⑤⑥⑦⑧)

火葬殿のモデル(⑨)

火葬檀(⑩)

ヒマパンの森の動物(⑪)

天蓋(傘)(⑫)

火葬殿の先端につくブラフマー神(⑬)

輿(こし)(⑭)

手動式リフト(⑯)

  

 

王室御車

王室御車(小)(①②③) 

三台ともKingRamaⅠの時代1795年に作られたものです。

その時代は、僧侶が読経するための御車、

棺をのせた御車、米や花を撒く御車として

三台使っていたようですが、

この様式はKingRamaⅥの時代に廃止になりました。

 

窓を背に向って右側の御車です。

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中央の御車です。

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左側の御車です。

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王室御車ウェーチャヤンタ(④)

12.25tの重さがあるこの御車は

KingRamaⅠの時代に作られました。

車の名前はヒンドゥー教のインドラ神の

乗り物から来ているそうです。

1925年のKingRamaⅥの火葬式、

1950年のKingRamaⅧの火葬式、

1985年のKingRamaⅦの王妃(ラムパイパンニー王妃)

の火葬式でそれぞれ使われました。

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車の後ろから撮りました。

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座棺 

座棺は外側のいわゆる座棺カバーと

内側の座棺の2層構造になっていて、

ここに展示されているのは外側部分です。

内部は模様がない筒状の座棺で

外側は美しく模様を施し、蓋の部分は

王冠や仏堂の様に高く先端が尖った

形をしています。

密閉するように中をおおい包む形に

なっています。

 

シーナカリン王太后の座棺(⑤)

サンダルウッドで作られています。

KingRamaⅨの御母堂様の座棺です。

下は四角形でお身体を寝かせた状態で安置するもの、

上は八角形の座棺で構成されています。

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王家の座棺(⑥)

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ラムパイパンニー王妃の座棺(⑦)

サンダルウッドで作られています。

KingRamaⅦの王妃の座棺です。

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ガラヤニ王女の座棺(⑧)

サンダルウッドで作られています。

KingRamaⅨのお姉さまの座棺です。

お母様であるシーナカリン王太后の座棺と

ちょっとデザインが似ています。

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バンコク国立博物館②〗

  “王室御車倉庫”から“火葬殿”へ

に続きます。

 

 

< バンコク国立博物館 >

 

 

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正式名称  พิพิธภัณฑ์แห่งชาติพระนคร

                        National Museum Bangkok

 

 所在地  ซอย หน้าพระธาตุ แขวง

      พระบรมมหาราชวัง

      เขตพระนคร กรุงเทพมหานคร 10200

                   Na Phra That Alley,

                   Phra Borom Maha Ratchawang,

                   Phra Nakhon, Bangkok 10200

 

  

 

 

お読みいただきありがとうございました。

@yayoi