サワディーカー。
@yayoiです。
タイにはたくさんの博物館があります。
その中でも国立博物館は、展示物だけでなくその
建物にもいろいろタイらしい特徴があります。
以前、バンコク国立博物館についての記事を書き
ました。
thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp
このバンコク博物館は、現王朝ラッタナコーシン朝の
副王の住まいが、現在では博物館となっているの
ですが、アユタヤにも同じように副王の御所として
建てられたところが時を経て、国立博物館となって
いる場所があります。
アユタヤにも前宮があった!
アユタヤの王宮は以前は、現在のワット・プラシー
サンペットのある場所にありましたが、
その東側、王宮の前方に作られたのが、この前宮、
または副王宮といわれるところで、1577年にアユタヤ
王朝19代目のマハータンマラーチャ―王の
命令で、当時副王であったナレースワン王の御所と
して建設された宮殿です。
ワン・ナー(วังหน้า)または、ナレースワン王が
ピッサヌロークを治めていた時に住んでいた宮殿と
同様に、栴檀の木で作られたのでワン・チャン
(วังจันทน์)とも呼ばれました。
栴檀(せんだん)とは、ビャクダン科の木で、
香りのよいこの木で作られた建物は、国王か
高貴な王族の御所にだけ用いられました。
この宮殿に住んだことのある国王と副王は20代目の
ナレースワン王、21代目エーカートッサロット王を
はじめ、29代ナーラーイ王、31代スア王といった
8人の王や副王などがいました。
初めの建物は大きな火災にあい、その後新しく建て
られた宮殿も、1767年に2度目のアユタヤ王朝が
陥落してから、放置されたままになっていましたが、
KingRamaⅣによって修復され、王がアユタヤに
宮殿と命名されました。
その後、KingRamaⅤはここを州庁舎とし、現在の
建物の多くはKingRamaⅤの治世時に建設され、
現在は国立博物館になっています。
もとはもっと広かったそうです。現在は
バンコクの王宮と同じような壁の中にあります。
博物館の入り口です。
実は今回のアユタヤではお寺巡りをする予定でした
が、残念ながら雨。ということで急遽、博物館に変更
しました。
私のほかにはみる人がいない博物館…
雨音が響きました。
前宮、州庁舎から博物館へと変遷!
前宮は州庁舎となり、その後に博物館となるのです
が、考古学に造詣の深い、官吏であったプラヤー・
ボ-ラーン・ラーチャターニン氏が、自分が収集した
アユタヤの歴史に関連するものを、この宮殿内にて
所蔵したことから、博物館としての歴史が始まり
ました。
博物館内に銅像がありました。
氏は、1902年にダムロン親王の勧めで、
現在は博物館のオフィスとなっているこの建物に、
ボーラーン博物館(骨董博物館)を創設しました。
設立した方でもあります。
この建物は、元は王室厩舎(馬小屋)でした。
ズームして撮りました。
1904年にここに所蔵されていたものは、KingRamaⅤ
によって他の建物に移され、博物館もアユタヤ博物館
と、命名されました。
その後、タイ芸術局によって、今のチャンタラ
カセーム国立博物館と改称されました。
博物館には、タイ語、英語、日本語のパンフレットが
あり、その地図をちょっと加工しました。
初めにボーラーン博物館が開かれた建物は地図の
③の位置にある建物です。
現在、博物館として開かれているのは、
① ② ⑥の建物です。
広い庭を囲んで立つ宮殿博物館!
まずは、門を入って右手に進むと、
チケット売場やお手洗いがあります。
そこでチケットを買って(⑦)
再び、門の前にもどると、案内表示がありました。
チャトラムック殿(พลับพลาจตุรมุข)
地図の①の所です。
入ってすぐ左手にある建物で、KingRamaⅣが
アユタヤ滞在中は王の個室として、また王室行事の
朝見の間として使われていたそうです。
入ってすぐの部屋を撮りました。
この部屋の奥に一部屋と、両脇に小さい部屋が
左右に2部屋ずつありました。
建物の中には、以前はKingRamaⅣの天蓋つきの
寝台なども展示してあったようですが、現在は
簡易なものだけが展示されていました。
KingRamaⅣのベッドです。
ほかには銅製の太鼓や刀を置く台などがありました。
建物を出て、裏側にまわってみると
外壁に向って仏像が祀られていました。
裏側から見た建物です。
屋根の瓦の並べ方や破風部分の彫刻が美しいです。
撮った写真を拡大しました。
ピマーン・ラッタヤー殿(พระที่นั่งพิมานรัตยา)
地図の②の部分です。
KingRamaⅣは、お住まいとしてここを建て始められ
ましたが、完成はKingRamaⅤの治世下となり、
KingRamaⅤはここを州庁舎として使いました。
ヨーロッパ人と中国の建築様式が融合された
デザインの建物です。
入り口部分に祀られていたのはナレースワン王です。
入ると前方と左右に一つずつ、あわせて3つの建物と
これらの建物のすぐ真横に建っているサーラ―の、
合わせて4つの建物から成り立っています。
入り口です。
向かって左側のパラート・クワー(ปรัศว์ ขวา)
という建物です。
向かって右手側の建物です。パラート・サーイ
(ปรัศว์ ซ้าย)です。
博物館として使われているのは前方の建物だけです。
その建物を背に入って来た入り口を撮りました。
建物の入り口へは左右にある階段を数段上がります。
建物の入り口から中を撮りました。
まずは大きな部屋があります。
この部屋には仏像やプラ・ピムと呼ばれる小さな
お守りのようなもの、仏頭などが展示されています。
手前中央は、エラワン象の上で瞑想するブッダ。
右側にあるのが、施無畏印(せむいいん・
「恐れなくてよい」の印相)の宝冠仏立像です。
この部屋の後ろには廊下のようなところがあり、
そのさらに奥にも小部屋があります。
廊下の様に細長い部屋は背景が緑で、
上から照明を当てて展示しています。
ガネーシャもいました。
この博物館の礎を作ったプラヤー・ボ-ラーン・
ラーチャターニン氏所蔵のものでした。
1番奥の部屋に入ります。
説教机と輿です。
木彫りのひざまずく天人です。
膝のあたりの木彫り模様です。
この部屋の窓から裏庭のようなところが見えたので
ズームして撮りました。
天文台と集会所
庭を見に、この建物から外に出ます。
ピマーン・ラッタヤー殿のもう一つの建物である
サーラー・チューン・クルアンを右手に見ながら、
間を裏へと抜けて行きます。
サーラー・チューン・クルアンです。
先ほど見えた庭のようなところにでました。
雨の中、庭を進みます。
右手側にピサイ・サンラヤラック天文台
(หอพิสัยศัลลักษณ์)がみえます。
入口から中に入れそうです。
この入口の左側には展示されなかったものが置いて
あります。
階段下で、靴を脱いで
階段を登って行けばよかったのですが…
ちょっと怖いので止めておきました。
時々、こわいとか危険な予感がするときは、
好奇心旺盛な方ですが、潔くあきらめて、
ブログに気持ちだけ残しています。
タイのお寺のこわい話、noteに書きました。
よろしければ、あわせてお読みください。
そして、ピマーン・ラッタヤー殿のちょうど
裏手あたりに見えるのはスアパー部隊集会所です。
KingRamaⅥの時代に建てられたこの建物は、野生の
虎部隊の集会所でしたが、今は閉まっています。
庭から先ほどのピマーン・ラッタヤー殿の建物の
後ろ側が見えました。
マハータイ殿(ตืกที่ทำการภาคหรืออาการมหาดไทย)
KingRamaⅥの治世下で、プラヤー・ボ-ラーン・
ラーチャターニン氏が建設した建物で、完成後、
州庁舎がここに移されました。
この建物の入り口はこちらです。
階段を登って靴を脱いで入ります。
廊下にたくさんの小さな扉のある小部屋がならび、
州庁舎の面影が残っています。緑の扉と床の模様が
きれいです。
展示室が全部で8つあります。
▶小部屋1
この部屋に展示されているのは、ガネーシャ像や
バイセーマーといわれるお寺の結界などです。
ガネーシャが2躰。
お寺にある結界。
仏塔頂飾と、ナーガと瞑想するブッダです。
仏塔のミニチュアや本堂のミニチュアです。
▶小部屋2
この部屋のメインは木造船の覆いです。
その前部分と中です。
細かい彫物が施されています。
他には、馬をの舳先に施したもの。
▶小部屋3
この部屋には経殿をいれるための戸棚が展示されて
います。
ワット・アマリンタラーム(トンブリー)に
所蔵されていたもの。
ワット・カーンカーウ(ノンタブリー県)に
所蔵されていたものなどがありました。
▶小部屋4
ここには仏足石と太鼓や鐘、うちわなどが展示
されています。
展示室の窓が花の模様でかわいかったです。
この部屋を出ると建物は直角に曲がり、曲がり角には
作業スペースがあり、その前に仏頭が展示されています。
まだ、先に小部屋がいくつかあるのが見えます。
▶小部屋5
武器の間とでもいうか、戦争に使われたものを
展示している部屋です。
▶小部屋6
陶器の間ともいうべき、ベンジャロンをはじめとする
陶器や土器などが展示されています。
ベンジャロン焼きです。
八角形の染付水差し。
その他にもいろいろ展示されています。
▶小部屋7
石碑などが展示されているお部屋です。
これはアユタヤ時代の遊行仏です。
アユタヤのワット・ナープラメーンで発見された
石碑。
アユタヤのワット・ハントラ―で発見された鐘。
その他の石碑などです。
▶小部屋8
この博物館の礎を作ったプラヤー・ボ-ラーン・
ラーチャターニン氏のメモリアルルームです。
立派な銅像がありました。
氏の所有物です。
ここで展示室は終わりです。
この部屋の前、建物の行き止まりには鐘が置かれて
いました。
庭の向こう、遠くに天文台やピマーン・ラッタヤー殿
が見えます。
直角に曲がっているので、この建物の最初の4つの
小部屋がある部分が右手側に見えます。
もときた廊下を戻って行きます。
最初の小部屋1~小部屋4の横の廊下には氏が所蔵して
いた仏像などが展示されています。
それらを右手に見ながら帰ることにします。
その中の二つ、こちらはロッブリーの猿の多い遺跡、
プラ・プラーンサームヨートで発見された屋根飾り。
この遺跡で、以前、猿に飛び乗られた時のことを
思い出してしまいました。
雨は止むどころか強くなっている気さえします。
ということで、今回は、お寺参拝しないで
バンコクに戻ります。
<チャンタラカセーム国立博物館>
正式名称 พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติ จันทรเกษม
所在地 ถนน อู่ทอง ตำบลหัวรอ
อำเภอ พระนครศรีอยุธยา
จังหวัดพระนครศรีอยุธยา 13000
月曜日、火曜日、祝祭日は閉館です。
また、すべての建物内は土足禁止となっています。
雨の降る日は、門から入ったあたりのレンガ敷きの
部分のコケが滑りやすくなっています。
雨の日に訪れる場合はご注意ください。
今回の記事は、博物館のパンフレット、及び
書籍『アユタヤ』(タイ国トヨタ財団発行)を
参考に書きました。
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi