タイと私と仏教と ~タイのお寺・神社・博物館から~

タイのお寺を通して広くタイ人の信仰を研究中

【タイの王宮】病院の敷地内にたたずむKingRamaⅥの離宮(前編)

パヤータイパレス バンコク

サワディーカー。

@yayoiです。

 

バンコクにある王宮といえば、

グランドパレスまたはワット・プラゲーウと

呼ばれているところがまず頭に浮かぶことと

思います。

 

そこは現在まで続くラッタナコーシン朝の

初代王であるKingRamaⅠがバンコク

都にして建てた王宮ですが、

バンコクには他にも離宮がいくつかあります。

 

そのうちの1つが、かつてKingRamaⅥが

暮らしていたパヤータイパレスと言われる

場所で、現在はBTSの戦勝記念塔駅から

徒歩8分くらいのところに位置する

プラモンクットクラウ病院の

敷地内にあります。

(map from GoogleMap)

 

下の地図がプラモンクットクラウ病院の

ほぼ全体図で、敷地内には

病院から医科大学まで

たくさんの建物があるのですが、

パヤータイパレスはこの敷地のほぼ中央に

あります。

(map from Googlemap)

 

広い敷地内にあるパレス以外の建物です。

 

ラーチャウィティー通りからの入り口を入ると

芝生の向こうに見えてくるパレスは、

青い空に美しく映えます。

 

 

 

 

パヤータイパレスの構成と歴史

 

パヤータイパレスはいくつかの建物で

成り立っています。

配置図を作ってみました。

記事内の番号はこの地図の番号です。

 

このブログでは、まずは参拝から入りたいと

思いますので、前編では、

パレスの前のKingRamaⅥ国王像(➈)と

裏手にある神様の像(⑩)や

仏像(⑪)などを参拝し、

庭園(⑥)を眺め、

中編、後編でパレスの中を

紹介しようと思います。

 

パヤータイパレスは、タイ語では

プラ・ラーチャワンパヤータイ

(พระราชวังพญาไท)といいます。

プラ・ラーチャワンは王宮を意味します。

 

このパレスの歴史は、大きく4つの時代を経て、

現在に至っています。その歴史とは、

ファームハウス時代、王宮時代、

ホテル時代、病院としての現在です。

 

ファームハウス時代

KingRamaⅤが1908年に農作業を

ご覧になるためのお住まいとして

建てるように命じたのが始まりです。

いわゆる初めてのファームハウスは

ローン・ナールワンクローンパヤータイ

(โรงนาหลวงพญาไท)と名付けられました。

 

1898年、KingRamaⅤは週末を楽しむ

住まいとして、王宮より北にあるこの辺りに

ドゥシット公園を作ろうと計画されていて、

王家の敷地にあう美しい特別なお寺を作ろうと

それまでにあったお寺を一旦とりこわし

計画を進めワット・ベンジャマポピットを

建てるなど、この辺りの計画にご熱心

だったことがわかります。

現在は使われていないので、

池の様にも見えますが、当時の

運河が病院の敷地内に残っています。

 

王宮時代

その後、KingRamaⅤの王妃であり、

KingRamaⅥ、KingRamaⅦの母である

サオワパー・ポーンシー王妃がここへ

お住まいになったので、KingRamaⅤは

ここにもっと建物を増やし、

王妃は王のご逝去後、

生涯こちらで生活されました。

そして、後に王となったKingRamaⅥも

宮殿として使えるように住居などを増やし、

ほぼこちらでお暮しになったようです。

 

ホテル時代

KingRamaⅥのご逝去後、KingRamaⅦは、

パレスの一部を鉄道や政府の外国からの

要人のためのホテルに寄付し、パレスは

パヤータイパレスホテルとしてオープン

しました。

 

病院~現在

ところが、1932年に立憲革命が起こり、

ここに陸軍のメディカル部門が移ってきて、

1949年には陸軍の病院となっていきました。

1952年に防衛省が王室の許可を得て、

KingRamaⅥを偲んで、病院の名前を

プラ・モンクットクラウ病院としました。

 

そして、1979年、芸術庁によって

パヤータイパレスは国の文化財に指定され、

現在まで保存されていて、一般への公開は

ツアーでのみ、中も見学することが

許されています。

 

 

KingRamaⅥ像と車寄せ

 

こちらはパレスの中心となる建物を

撮ったものです。

 

建物の前面にある車寄せ(➆)と

その前に祀ってあるKingRamaⅥの像(➈)

です。

 

初めにKingRamaⅥの像を参拝します。

 

冠の下に6(๖)の文字を施した紋章。

 

横から撮ったKingRamaⅥの像です。

 

後方から撮ったKingRamaⅥの像です。

 

その後ろに見えるのが、現在はカフェに

なっていますが、もとは車寄せとして

作られた建物です。

 

ここには、インドラ神の武器の金剛杵を

かたどったKingRamaⅥの紋章が

施されています。

 

病院の敷地内には、塀などにこの紋章が

施されている場所があります。

 

建物を斜めの角度から撮りました。

 

建物の向かって右側に見えるものは

鳥の巣箱だそうです。

 

車寄せはピマーンチャクリー宮殿に

つながっていきます。

 

車寄せの出入り口(現在はカフェの出入り口)。

 

上の出入口を背にして撮った

ピマーンチャクリー宮殿の入り口です。

 

次は建物の裏手部分に移動します。

 

上の地図の緑の矢印のように進み、建物

④のところで曲がります。

④の角です。

 

曲がると上に渡り廊下が見える通路が

あります。

 

進むと右手側に休憩のサーラーがあります。

 

左手側はローマン庭園の門ですが、

ここは開いていませんでした。

 

さらに進んで、庭園を左手に曲がると

右手側に神様や仏像を祀った広場のような

ところへの通路があります。

 

広場はこんな感じになっています。

 

 

ターウ・ヒランパナースーンの祠

 

広場の前方中央に祠があります。

 

ヒランという森の鬼です。

 

言い伝えによると、

KingRamaⅥが北の方にお出ましになった時、

側近の一人が 、“ヒラン” という森の鬼が

王を危害から守るためにめんどうをみる

という夢をみたと告げると、

KingRamaⅥは線香、ろうそく、食べ物を

お供えし、毎晩たくさんの夕食もお供えし、

ターウ・ヒランパナースーンと

名付けたそうです。

 

横から撮りました。

 

 

ブッダを祀った祠

 

ターウ・ヒランパナースーンの横には

仏像を祀った祠があります。

 

ナーガに守られたブッダが祀られています。

KingRamaⅥが出家なさった時に、

土曜日の仏像を造られたものを

模倣した仏像です。

 

台座の上に座って、ナーガに守られた

仏像の形相はよく見かけますが、

この様に身体がナーガに守られながら

首の部分だけがでている形相は

とても珍しいと思います。

横から撮りました。

 

斜め後ろから撮りました。

 

参拝後は、パレスの裏にある

ローマン庭園に向かいます。

 

 

ローマン庭園を眺める

 

広場を背にパレスの裏側へと進みます。

 

ローマン庭園に入りました。

 

庭園内に入ると右手側にある

休憩用のサーラー。

 

一方、左手側には池があります。

 

池の奥から先ほどのサーラーを

撮りました。

 

この椅子に座り、ただ庭園を眺める時間は

とても平和に感じることと思います。

 

パレスの上階から眺めたローマン庭園の

様子です。

 

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

@yayoi