タイと私と仏教と ~タイのお寺・神社・博物館から~

タイのお寺を通して広くタイ人の信仰を研究中

〖タイの「市の柱」〗先史の時代に住んでいた人がいた町の「市の柱」

サーン・ラックムアン ウタイタニー

サワディーカー。

@yayoiです。

 

ウタイタニー県のお寺を参拝する際に、

GoogleMapでラックムアンを調べて

行こうとしたところ、こちらに着きました。

タイ語で、サーンジャウポー・ラックムアンと

    書いてあります。)

参拝してから、気がついたのは柱がないこと。

 

 

 

 

サオラックムアンを探して

 

そこで、“ラックムアン”はここではないのかと

近くにいらした方々に尋ねると

ここだと言われるのです。

確かに入り口にも

サーンジャウポー・ラックムアンと

表示されています。

 

何人かにお尋ねしたら、ある方が

“サオラックムアンのことだね。

そこは県庁舎の近く”と教えてくださり

到着したのがこちらです。

サオ(เสา)というのは柱を意味します。

 

県庁舎の前にあります。

 

サーン・ラックムアンと書かれています。

 

GoogleMapで見ると確かにラックムアンが2か所に

ありました。

地図上の下の方のラックムアンのマークの

あるところが市の柱を祀ってある方です。

 

 

市の柱の伝説

 

この町に市の柱が建てられたのには伝説があって、

まだこの町では市の柱に関心を持つ人が

いなかったときに、バンコクから

ワット・フアムアンへとやってきた人が、

古いウタイタニーの柱はどこにあるかという

夢をみたから、柱をきちんと整備するように

と言って、夢で知り得た柱の場所を指さすと

そこはワット・フアムアンの東の辺りで、

半分残っていた木の芯を見つけたそうです。

 

そこでその木を運び、儀式を行い

サーラーで囲っておいたものを、

後に、現在の県庁舎の近くに

サーン・ラックムアンとして

建物を建てて、祀っています。

 

建物の形は、四面体で四方に切妻がある

チャトラムックというスタイルで、

屋根の上にはプラーンが施さています。

 

別の角度から撮りました。

 

離れたところから撮りました。

 

このウタイタニーの地は、

先史前、約3000年くらい前に

人が住んでいたという、

歴史上の証拠が発見された土地だそうです。

 

スコータイの時代のころに、

ターウ・マハープロムという方が

古いウタイの町を作り、

県名のウタイタニーは、今ではタイ語では

อุทัยธานี と綴られていますが、

昔はอุไทยธานีと綴ったそうです。

見ると、今の国のタイไทยの綴りが

入っています。

 

 

ラックムアンの中に入る

 

入り口に向かいます。

 

これがウタイタニー県の市の柱です。

 

建物の天井部分です。

 

参拝を終えて、別の入り口から外を見渡したら

隣接するサゲークラン川が見えました。

 

 

敷地内のもう1つの柱

 

敷地内を見ていたら、

小さなサーラーが見えました。

 

近寄って行きます。

 

近くで撮ったサーラー全体の様子です。

 

中には入れないようになっています。

 

ここにも柱が祀ってあります。

 

柱の周りには神様が祀ってありました。

 

 

<サーン・ラックムアン ウタイタニー>

 

正式名称  ศาลหลักเมือง

      サーン・ラックムアン

 

所在地  ตำบล อุทัยใหม่ อำเภอเมืองอุทัยธานี

     อุทัยธานี 61000

     Uthai Mai,

     Mueang Uthai Thani District,

     Uthai Thani 61000

 

 

今回の記事は

The City Pillar Shrineのサイトを

参考にして書きました。

 

お読みいただきありがとうございました。

@yayoi