
サーンジャウ・ポークルッㇳ バンコク
サワディーカー。
Luna(流転那)です。
バンコクのワット・プラゲーウの
周囲には小さな神社や祠などが点在しています。
こちらもその1つです。
サーン・ジャウポーラックムアンこと
バンコクの市の柱のちょうど裏手にある
ガルーダの神社を参拝します。
ガルーダの神社までのアクセス
神社までは、市の柱から歩いて
10分くらいです。

後ろを、小さな運河が通っています。
ロープクルン運河です。

上の写真に写っている
チャーンローンシー橋を
細い運河の向こう岸へと渡って行きます。

渡ったら、反対側の歩道を歩いて行きます。
地図上では市の柱や
王宮前広場などを左手にみる形で進むと、
また運河にかかる小さな橋が左手に見えます。
その橋はホク橋です。
国防省と司法省の間の通りに
繋がっていてこの橋は通行が
できなくないようです。

通り過ぎたら、さらに
運河を左手に見ながら進み、
小さな角を曲がります。



商店街のような一画に
神社があります。


ガルーダを参拝する
ガルーダは、ヒンドゥー教の
ヴィシュヌ神の乗り物で、
胴体は人の姿。
頭とくちばし、翼があります。
足はワシの形で、鋭い爪もあります。
タイ語では、ガルーダはครุฑ(クルッㇳ)です。
この神社は、ただガルーダが
祀られている他には何もありません。
神社の入り口です。

ちょっと離れたところから見ると、
屋根の上まで見えますが、間口も小さい
神社です。

ガルーダを参拝します。


下の方にもガルーダが祀られています。

軍艦の船首につけられたガルーダ
この神社の成り立ちの様なものを
探ってみました。
「昔、木彫りのガルーダを見つけた人が
いたそうです。
古い時代には戦争に行く船の船首に
つけられていたであろうガルーダが
水に浮かんで、この辺りに着いたものを
見つけた人が信仰心から神社に安置しました。」
その後、そのガルーダは
1度盗難にあっているようで、
その辺りの詳しい経緯はわかりませんが、
現在のものは、
ワット・ポートーンの高僧や弟子によって
きれいに修復されているものだそうです。
「戦争に行く船の船首につけられていた
であろうガルーダ」
というのが気になります。
そこで、まず王室御座船博物館に展示、
保管されている御座船を
見に行ってみましょう。
この博物館について、以前私が書いた
記事です。
thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp
仏教の行事の1つに
雨安居の終わりを祝う出安居のあとに、
(雨季にお寺にこもっていた僧侶たちが出てくる)
雨安居あけの僧侶に新しい黄衣を寄進する儀礼
というものがあります。
まだ、船が交通手段であったときに、
国王がその儀礼のためにお出ましになる際に
使われたのが御座船で、
その護衛艦の1つに、ガルーダが船首に
付いている船があります。

船の名前は、The Garuda Hern Het Barge
(เรือครุฑเหินเห็จ)です。

護衛艦なので、砲筒が備えられ、
その船首部分にガルーダが施されています。


御座船の船首に、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神が
施されているものもあります。
こちらはヴィシュヌ神と、
その乗り物のガルーダという位置づけのようです。


ヴィシュヌ神と乗り物のガルーダの
古い船首の飾り部分も展示されていました。


最古の船首のガルーダに出会う
次は、海軍博物館の展示の中に
ガルーダを探しに行きます。


この博物館には船や模型のみならず、
戦艦の船首のガルーダなども
たくさん展示されています。




船首のガルーダについての
説明が記されていました。

これによると、
昔は戦争で勝った証として敵の首を切り落としたように、
負かした敵の船の船首についているものも
切りおとし、自分の船につけたこと。
船に動物(ライオンや馬、シャモア、タカや鳥、
ガルーダなど)をつけることは、
霊などから船を守ってくれる。
天候や航海の知識のない時代に、
災害から船を守ってくれる。
などという信仰からつけたこと。
そもそも、なぜ船首にそのような飾りを
施したかというのには、
そのような背景があったようです。
また日本が軍艦に区別されるものに菊の紋章をつけて
いたように、タイでは軍艦の船首にガルーダをつける
などの記述もありましたが、軍艦だけにという
明確な規定はなかったようです。
紋章については、タイ国海軍の歴史において
KingRamaⅣの治世下の1823年ころに、
ガルーダをタイ国の王のしるしとして
使い、公務においてもしるしとなったそうです。
日本人のパスポートの表紙に菊の紋章があるように
タイ人のパスポートの表紙にガルーダの紋章が
あります。
そのような背景から戦艦など、船の船首に
施されたガルーダですが、
この博物館に、最古のものがありました。

プラティナン・マハーチャックリー2号
という、1918年に日本で作られたヨットの
船の前柱につけられていたものです。

こちらは、KingRamaⅣの側室の船の
船首につけられていたもの。

こちらは1000Tクラスの軽砲艦の船首に
つけられていたガルーダ。

こちらは
マクットラーチャクマーン2号の
船首のガルーダです。
ファイバーで修復されたものです。

最後に、KingRamaⅠの治世下に作られた
木製の船の船首のガルーダ。
外側が黒く塗られた船につけられていたという
ことで、外側が黒いのは護衛艦です。
*先ほど最古のガルーダについて書きましたが、
船としては、こちらの船がより古いのでは
ないかと思います。最古のガルーダは
割れてはいましたが、修復され色付けされていると
どれが古いものかは見た目ではわかりません。


以前、護衛艦に関して書いた記事です。
thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp
もう1度、上階から船首のガルーダを
眺めて、終了です。

<サーンジャウ・ポークルッㇳ>

正式名称 ศาลเจ้าพ่อครุฑ
サーンジャウ・ポークルッㇳ
所在地 Trok Khrut, San Chao Pho Sua,
Phra Nakhon, Bangkok 10200 Thailand
今回の記事はmcot.netのサイト
及び、海軍博物館の案内表示などを
参考にして書きました。
最後に、2009年にホアヒンから
招来した我が家のガルーダです。

お読みいただきありがとうございました。
Luna(流転那)