タイと私と仏教と ~タイのお寺・神社・博物館から~

タイのお寺を通して広くタイ人の信仰を研究中

〖タイの「市の柱」〗要塞と共に建てられた市の柱

サーン・ラックムアン チャチュンサオ

 

サワディーカー。

@yayoiです。

 

バンコクに隣接する県の1つである

チャチュンサオ県は、今や

ピンクのガネーシャ像のお寺が有名な

観光地として人気ですが、

この県は他にもたくさんのお寺があり

私も訪れるのが好きな県です。

 

私が前・中・後編の3つに分けて書いた、

ピンクのガネーシャのお寺こと

ワット・サマーンラッタナーラームの記事です。

リンクは前編です。

www.yayoi-thainootera.net

 

そのお寺があるチャチュンサオ県の

ラックムアンこと「市の柱」を

訪れてみました。

 

美しいラックムアンです。

 

ワット・サマーンラッタナーラームは

1879年にまず、

ワット・マイクンサマーンプームナコンとして

完成したのですが、それより45年近く前に

建てられた「市の柱」です。

 

 

 

 

この柱が建てられた理由

 

以前、サラブリー県の「市の柱」について

記事を書いたのですが、この県ができたのには、

1549年ころ国王が戦争の時に国民を動員するための

中心の場が必要と考えたということを

書きました。

thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp

 

時代こそ違うもののこの

チャチュンサオ県もタイとベトナムの紛争が

あった19世紀の初めころ、ベトナム侵入から

王都を守るための大切な前方基地でした。

 

そのため、神聖な魂の宿る場所であり、

町と町民を戦争や災いから遠ざけるための

「市の柱」を要塞の壁と共に、

建てたそうです。1834年のことです。

 

マルポン通りに入り口があります。

 

 

2本の市の柱のあるラックムアン

 

入って行くと正面に見える

ラックムアンは、タイ建築の

四角錘の様な特徴を持つ

チャトラムクというスタイルの祠です。

 

上にはプラーン(トウモロコシ型の塔)が

施されています。

 

屋根の破風部分です。

 

この祠は、以前は祠自体が小さかったために、

1997年に新しく建てられたものです。

1999年には、現在の国王が、当時の国王である

KingramaⅨの代わりに儀式にお出ましに

なったこともあるそうです。

 

入り口から入ります。

 

中の様子です。

 

中には2本の柱があります。

 

片方は1834年に建てられた柱ですが、

破損したため、

後のKingramaⅤの治世下で作り直し、

もう一方は1895年に新しく作られたもので、

1895年の7月に儀式を行ったものだそうです。

 

参拝を終えたら、祠の外に出ます。

 

 

サーン・ジャオポーラックムアンを参拝

 

敷地内には、

サーン・ジャオポーラックムアン

(ศาลดเจ้าพ่อหลักเมือง )と

呼ばれる神社もあります。

 

こちらも参拝します。

 

これでチャチュンサオ県の

「市の柱」の参拝は終わりです。

もと来たところからマルポン通りに出ます。

 

 

<サーン・ラックムアン チャチュンサオ>

 

名称  サーン・ラックムアン チャチュンサオ

    (ศาลหลักเมือง จังหวัดฉะเชิงเทรา)

       

所在地  Maruphong Rd,

     Mueang Chachoengsao District,

     Chachoengsao, Thailand24000

 

 

今回の記事はAmazing Thailandのサイトを

参考にして書きました。

 

お読みいただきありがとうございました。

@yayoi